KEENが出来るまでの道のりと
KEENへの想いを綴ったストーリーです。
2003年も夏が過ぎ、秋になり、空いてる時間を見つけては自由が丘に来ていたものの、やはり駅前では保証金1000万円以上はくだらないのでした、少し歩いていると人の通りが少ないのですが、そこは美容室が立ち並ぶ通りがありました。そこに空き物件があるか調べてみると20坪で家賃はそこそこ。ここだ!と思い詳細を不動産に聞きにいくのでした。そこは前に調剤薬局をしていたそうですが、数ヶ月空いていました。不動産に聞いてみると、そこの大家さんはもう引退されている方だということでした。倉田は単身大家さんの家に挨拶に行くのでした。
物件の2階は大家さんの自宅。緊張の中、呼び鈴のボタンに指をかざした時、心の中は期待と不安の気持ちが交互に入り乱れるのでした。扉が開くとそこには、優しそうな初老の女性が迎えてくれたのです。自己紹介を済ませ、中に通されるとご主人がいらしたのでした。そのご主人はゆっくりと口を開きはじめたのでした。
「話は聞いているが今はまだ考え中なんだ。人に貸さなくてもいいとも思ってるんだよね。それに理容室を開くとなると水道工事や内装工事で大掛かりな工事になるだろう。私たちみたいに年がいっている人間には騒音などつらいからね・・・」という言葉に諦めきれず、「そこをなんとかお願いします」と懇願しました。そして、師匠である田中先生の本を渡し、私という人間がどいういう先生の下で修業し、これからどういう気持ちで店を出すのかを切実に訴えました。
ご主人は重い口を開き「とりあえず、今日のところはお引き取りください。倉田さんの気持ちはよくわかったから」と。それ以上は言えず、その大家宅を後にするのでした。
その帰り道、倉田の心の中の天使が「大丈夫だよ、きっと貸してくれるよ」と囁くのと同時に、心の中の悪魔が「そんな簡単にいくわけないだろう、甘くないぞ」とつぶやくのでした。
その後、不動産会社から連絡があり、その内容は「今回の物件はなかったことに・・・」と言われ、落ち込むのでした。しかし、一度くらいだめでもしょうがないと切り替えるのでした。そんな中、9年間お世話になった”髪ing”を3月に退社することになりました。
”髪ing”の退社式は入社式と同時に行われ、田中トシオ先生から一人一人激励の言葉が書いてある色紙をいただけるのでした。
これには、田中先生が感じたスタッフの逸話が記載されているのでした。
倉田がいただいた言葉は「夢は逃げない、自分が夢から逃げるだけ」でした。
これは、倉田が日本チャンピオンになる前、苦しんでいた時に先生から掛けられた言葉でした。
先生からの言葉一つ一つに”髪ing”での想い出が走馬灯のように駆け巡り、福井で優勝した時のように目頭から熱いものがこみあげてくるのでした。そして、会の最後には、先生、先生の奥様、現スタッフで退社するスタッフ一人一人に言葉をかけ、人の花道で見送るのです。そこには、笑顔で別れを言う者、涙を流す者がいました。
改めて”髪ing”で修業して本当によかったと思うのでした・・・。
卒業してから物件の情報にもあまり進展がなく、我慢の日々が続いたのでした。自分自身との戦いであり、自分の決断が自分の将来を決めていくと、心に留め、気を引き締めていくのでした。
そんな4月も20日くらい過ぎたある春の日、新しく訪問した不動産からの電話がかかってきたのでした。
「自由が丘の駅から4分で一階の物件があります。」とのことでした。
そこは酒屋さんで、中に入るとやさしそうな中年の女性がいらしたのでした。
「こんにちは。倉田と言います。このたび、こちらの物件をお借りしたく、ご挨拶にきました。」とあいさつし、名刺と師匠の本を渡し、店を後にするのでした。
後日、不動産屋から連絡が届き、契約するとのことで天にも昇る気分でした。
そして、ここから怒涛の日々が続くのでした・・・
物件を探すのと並行して、サロンを作る上でとても重要なコンセプトやロゴマーク、そして、サロン名を決めるのにかなりの時間が費やされました。
自分の名前をつけるか、または全然関係ない名前にするか・・・。
名前もトヨタ、ホンダなど、ブランド化されれば、親しみやすくなりますが、時間がかかるというデメリットがあります。やはり、あまり聞かない名前がいいと思い、考えに考えました。費やした時間は約3か月。
その中で、倉田和俊の頭文字をとり、Kを使いたいと思い、その中で、スタッフとお客様に向けての考えを入れたのが、「KEEN」という名前でした。
■お客様に向けては・・・
Kind 親切に
Elegant すてきな
Emotion 感動を
Network 発信する
■スタッフに向けては・・・
KEEN’S staff キーンのスタッフは
Effort 努力
Effect 結果を出し
Novel 革新的でいる
という思いを名前に込めました。
またロゴマークは、はさみと蝶をモチーフにし、お客様がKEENから帰られるとき、さなぎから蝶のように美しくなってほしいという意味を込めました。
それと同時に設計士とのサロン設計も進行していました。
まず私が思う新しい理容室とは、外観から差別化し、目立つことでした。そして、店内はモダンかつ落ち着きのある内装を考えていました。
外観は3つの案が提案されました。
1つ目は、青山のプラダにように緑のコケで覆う外観、2つ目は白い壁、そして、3つ目は、LEDの上にステンレスを覆うようなイメージでした。
外観はお客様が外から見て、センスがよい店だと思ってもらうために、インパクトが大事であると常々考えていました。
1週間かけ、3つ目のLEDのデザインを選びました。これは、ステンレスの下にLED点灯させるのですが、理容室のイメージ(赤、青、白)をモチーフにし、ゆっくりと色が変わるようにさせました。そして、のちに建築雑誌「商店建築」に載り、その後、「商店建築」の特別号の外観特集でなんと表紙を飾ったのでした。ルイ・ヴィトンなどの外観も掲載されている中で、それらを抑えての表紙掲載でした。
それを作った照明の会社でさえも、自社のHPにも載せるくらいのオリジナリティあふれる外観だったのです。
次に内装ですが、男性が落ち着くように考え、しかもモダンでセンスがよいのが条件でした。よって、周りは白とステンレスを使い、床にはウッドを使いました。
サロンコンセプトや内外装の設計が次第に決まり始めたころ、一番大事なお金の問題が浮上しました。
理容室は国民生活金融公庫で借入をする場合、生活衛生同業組合の管轄ということもあり、同じ理容組合の推薦があれば、金利は一般よりも安くなる。
事業計画書、必要書類を揃え、いざ面接のときがやってきた。公庫に着くとテーブルに案内されあいさつを受けた。
その担当者は書類に目を通し、最後に一言「床屋さんでこんなにかかるのですか?」
その一言が私の闘志に火を付けた。
言葉は丁寧だが、その担当者は明らかに理容業を自分のものさしで計っている。
しかし、今までと違う新しい理容室をつくりたい私にとって固定観念で見てもらいたくはなかったので、思いの丈を話し始めた。そうすると、担当者にもその真意が伝わり、「わかりました。それでは、後日。面談の結果融資の報告をさせてもらいます」と終了し、その場を後にした。
それから、何日か過ぎ「国民生活金融公庫の○○です。先日、希望された融資額が満額承認されましたので、ご報告させていただきます」と電話があったのです。
一番の問題であった資金繰りをクリアすることができました。